安納芋の歴史
種子島の安納芋文化の始まりは、第二次世界大戦後まもなく、スマトラ島北部のセルダンという地域から1人の兵隊さんが持ち帰った、一つの甘~いお芋が始まりと言われています。そのネットリとした不思議なお芋は、これまでの琉球から伝わった唐芋(サツマイモ)とは比べ物にならないほど甘く、この美味しいお芋を島のみんなにも食べてもらおうと島内で栽培したのが始まりでした。
すると、たちまち島の人々はこの甘~いお芋に夢中になり、またたく間に種子島の様々な地域で栽培されるようになったのです。それまでも琉球から伝わった唐芋(サツマイモ)を栽培し食してきた種子島の人々でしたが、段違いに甘くてジューシーなこのお芋は島民の舌と心をとらえ、種子島の宝物になりました。
時代は進み平成元年、鹿児島県農業開発センター熊毛至場で優良品種の選抜育成が進みます。この農業試験場(熊毛支場)が種子島の安納地区にあるという事で、平成10年に品種登録される際「安納芋」と名づけられ、後に一般に蜜芋として知られている「安納紅芋」と「安納もみじ(安納こがね)」という2品種が登録されました。これが今では全国的に大人気となった「安納芋」のルーツなのです。
種子島の人々はこう言います。「昔から種子島は飢えを知らない島。」それは、世の中を大飢饉が襲い10万人以上の方が餓死してしまった時代に、サツマイモの栽培に日本で初めて成功していた種子島が、お芋で飢えを逃れ、多くの犠牲者を出さずに済んだ歴史からも知ることができます。
安納芋を育む種子島のめずらしい土壌
「安納芋」は平成25年までは登録品種苗として種子島でのみ栽培が認められていて、他の地域での栽培は認められていませんでした。
それによって種子島の特産品として広く知れ渡りましたが、全国で栽培が解禁となった今でも「安納芋と言えば種子島産でなければ」という方が大勢いらっしゃいます。全国解禁となった今なぜ種子島産でなければいけないのでしょうか?
その理由は全国的にみても珍しい種子島の土壌にあります。お隣の屋久島と比べると、屋久島の最高点が1935mなのに対し、種子島は238mしかありません。種子島はのっぺりとした平たい島なのです。
つまり、島内にたっぷりとミネラルを含んだ潮風がまんべんなく吹き渡り、天然の肥料となっているのです。
その他にも、種子島では島内のいたるところで貝の化石が発見されています。これは、種子島が海底が隆起して出来た堆積岩の島だから。
太古の昔、海底だった種子島の地質は土中にミネラルが多く含まれており、そこで育つ安納芋は、本土のお芋よりも糖度が高く、こくのある味になるのです。
これが、種子島が安納芋を栽培するのに最も適している土壌と言われる理由です。